ウガンダによりみち。

人生の寄り道でウガンダの村に来ました。新しい発見があるといいな。

チームティーチングの悩みと考え方の変化。

こんにちは。ウガンダのセカンダリースクールでパソコンに使い方を教えています。おおのです。

今日は活動における私の悩みと考え方の変化について書こうと思います。

 

はじめに

ウガンダ、世界各国には、何人ものボランティアが学校に派遣されています。

環境は本当に学校によって全然違いますが、先生として派遣されている人たちは主に以下の2つのやり方のどちらかで活動をしています。

  1. 担当の授業を持ち、教える
  2. チームティーチングで、教える。

私は、学校側からチームティーチングを要望されているのでの方です。先生の数が足りない学校などでは、「あとはよろしく」という感じで授業を任せられるの人もいます。

 

1の人の方が多いのではないかなという感覚です。

 

以下は、2のチームティーチングをする場に身を置く、私が個人的に考えたり思ったりしていることです。

チームティーチングの悩み

悩み1:自由にできない

生徒の状況とか授業の進め方とか、「こうやればいいのにな」「私だったらこうするのに」と思うことがあります。自分が担当の授業ならすぐに実行することができます。

が、チームティーチングの場合、(保守的な)同僚に話して理解してもらわないと変えることもやりたいこともできません。文化も育ってきた環境も違う人たちに理解してもらうのは大変です。

悩み2:存在意義

私は同僚の授業・仕事をサポートすることがメインタスクです。でもこの同僚たちは私がこの学校に来る前も普通に授業をしていたわけです。つまり、私がいなくてもまわるんです。教える経験ももちろん同僚の方が長いんです。

 

上記2つの悩みがあったので、ウガンダに来てすぐはすごくもやもやしていました。

 

1の自分の授業を持っている人たちの話を聞くと、すごいな自分の色を出せていてかっこいいな活躍しているなと思います。それに比べて…ってね。

 

せっかく学校に派遣されたんだし、自分で授業を回したいなって思っていました。その方がやっている感も感じられるだろうしなって。チームティーチングやりにくいなって思うようになりました。

 

せっかくきたのだから、何かやりたいっていう、完全なる驕りですよね。

 

当初は担当の授業を割り当ててもらおうかなって思ったりしていました。ですが、今はチームティーチングでよかったな、チームティーチングでがんばろうと思っています(自己正当化したいだけかもしれませんが)。

こっちの先生の仕事を取りにきたわけじゃないですしね。

 

チームティーチングの良さ

関わる対象が多い。

同僚3人が持っているクラスの生徒と触れ合えます。つまり全学年全クラスの生徒とかかわることができます。

(そのため顔と名前をまだ全然覚えられていないのは許しでください。。)

毎日朝から夕方までずっと授業があるんですが、暇はしないのでいいです。(社畜的考え)

数えたら週54コマありました!(笑)

 

クラスや学年、性別によって色の違いを感じたりできます。

 

関わる生徒が多いのはもちろんですが、先生(同僚3人)とも関わることができます。

自分で授業を持っている人の中には、同僚との絡みが少なくなるって嘆いている人もいます。

 

残すことができる。

同僚と一緒に活動をするので、私がやっていたことで、同僚もいいなと思ったことは私の帰国後も引き継がれるはず。なので、私がいなくなっても何か残ることができる可能性があるんです。

そうすると少しでも多く、この学校の、この地域の、この国の人の未来にかかわれるかなと。

 

自己成長につながる。

今あるやり方、同僚がやってきたやり方を尊重しつつ、いかに改善していくか。そして、私の考えていることを分かってもらうか。難しいですけどやりがいありますよね(と言い聞かせています)。特にうちの学校、県で一位の成績なので、先生たちも特に今のやり方を変える必要性も感じていないと思います。

 

思い通りにはいかないし、期待と外れる反応であることが多々でくじけたりもしますが、強くなるために来たので、成長できるかなと思います。

ストレスたまったらクッキーの消費がすすみます( ・ω・)

 

まとめ

同僚・先生といい関係を構築し

頼りにされて、

継承されるようなことが

一緒にできればいいなと

(書くのは簡単なんですけどね。)

 

今は改善案を私から提案したりしています。それは私がこういう考えで、こういうことができてっていう、プレゼンス向上、信頼してもらうために必要なことだと思っています。ですが、今後は、こういう風にしたいんだけどってって相談されて一緒に考えていけるようになればいいなと思います。そうすると、必然的に残るでしょ?

 

実際に何かを残すのは大変なことはわかっています。なので、まずは目の前の生徒たちから。

一時的な活動になっても、マンパワーとなっても、目の前に私を見ている生徒たちはいますからね。少なくとも彼らの人生にはもう関わっているんです。できることからトライして、その状況を見てもらうのも大事だと思っています。

 

例えばラボ開放なんかも、私がいなくなるとなくなるかもしれないこと。でも私がいる間の生徒たちにとっては重要なこと。残ればいいけど、残すことにとらわれすぎなくてもいいのかなと思ったり。

 

いろいろ思考や思いがいったりきたりしながら、悩みながら進んでいっています。

まとめと言っときながら、まとまりなくてすみません。

おわりに

隣の芝生は青いってやつはどこに行ってもそうなんですよね。

わたし、人に巻き込まれるのは得意なんですが、人を巻き込んで率先してやることはあまりしてきませんでした。来るべくしてここにいたのかなここにと思って、人と比べず頑張ります。

やりたいことができないなって思ったとき、ボランティアはあくまでサポーターで、主役は現地の人たち。そこを忘れないようにしないとな、と思います。

 

でも自分のための2年間でもあるので、やりたいことやってみてもいいのかなとも思っています。

 

そろそろ活動計画たてないといけない…なに書こうかな。

 

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